空楽寺概要
寺院名 空楽寺
宗 派 浄土真宗大谷派
住 職 菅 一乗
住 所 〒877-1104 大分県日田市大字鶴河内4754
電 話 0973-28-2050
ホームページ https://www.kuraku-ji.asia/
info@kuraku-ji.asia
大分県日田市大鶴本町字東見寺にあり、寺号を菅原山空楽寺と称し、浄土真宗大谷派のお寺として、阿弥陀如来及び親鸞聖人・蓮如上人のお姿をお祀りしています。
歴史について
●一四九九年(明應八年) 真言密教彦山権現の行者だった釈実慧が鶴河内川・大肥川の交流地点の台地(後にこの台地を仏獄という)にお寺を建て、「一木山東見寺」と名をつけました。
四代目にあたる釈真覚は石山本願寺の合戦において顕如上人にお会いして戦功をたてたといわれています。
六代目にあたる釈常明の時、本願寺が東・西本願寺に分轄される事となり、当寺は代官の命により東本願寺に属することになりました。
●一六五〇年(慶安三年) 釈休念は本山の十三代目にあたる宣如上人に教えを請い、玖珠郡菅原邸から出てきて現在地にお寺を建て、「菅原山空楽寺」と名をつけ初代となりました。
七代目にあたる釈実道は筑後国満願寺より空楽寺に入りました。釈実道は、学問に秀で産業の振興にも力を注ぎ、天明の飢饉の様な災害から周辺をまもるべく、鶴河内川・大肥川沿岸に石塀をして水田開発を発展させるなどし、「空楽寺中興の師」と多くの人々からの信望も厚かったそうです。
時は流れ・・・
現在の釈海雲師は十五代目にあたります。
境内に推定三百年の榧の木、山門、五輪の塔、納骨堂、英霊堂、宝篋印塔、経堂、六地蔵・・・天文一八年(一五四九年)、句碑・・・「人や昔百寿も露の命かな」などがあります。